【登場人物紹介】
■解説:高山正之/1955年山形県生まれ
2020年7月に46年務めた本田技研工業(二輪車広報マン)を退社。趣味で集めた オートバイ・カタログのコレクションを、当時の時代背景も解説しながら紹介する「カタログは時代を映すバックミラー」と家庭菜園の「高山農園日誌」を、当SPANGSSで連載中。
高山正之さんの記事コチラ
■聞き手:近藤スパ太郎/1967年埼玉県生まれ
俳優・リポーター・当SPANGSS主宰 / 趣味:電動バイクの試乗(バイク誌にも連載中)/ 環境問題をテーマにしたラジオ番組【Inter FM 「ESSENCE OF STYLE」】のパーソナリティを担当したコトを切欠に、環境問題の最先端技術の面白さにハマる。
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スパ太郎(以下スパ):前回お知らせした様に、今回は、過去の東京モーターショーで華々しくデビューした ”電動二輪車” や ”当時の構想や技術” をふり返ってみたいと思います。
前回はホンダ初の電動スクーター「CUV ES」(原付1種 ※)のデビューストーリーを紹介しました。
※原付1種:排気量50cc以下の二輪車。電動バイクの場合は定格出力0.6kW以下。
ホンダ初の電動二輪車「CUV ES」。 写真は1994年にリース発売された車両です。
1991年6月の「低公害車フェア」で初披露されて、その後1991年と1993年の東京モーターショーに参考出品して、1994年にはリース販売に至りました。
※前回の記事はコチラ
スパ:高山さん、この流れを見ると、東京モーターショーは新しいカテゴリーの商品を世の中に提案する場として、とても重要な事が分かりますよね。
高山:東京モーターショーには、沢山のお客様はもちろんの事、報道関係者や業界関係者、行政の人たちも来場しますから、メーカーの姿勢を表すには絶好の機会です。
スパ:ですが、今年の東京モーターショーは中止の判断が下されました。 2023年まで待たなければなりません…。
世界はモチロン、日本でも電動バイクの普及が注目されている今年は、各社から意欲的な ”電動二輪車”が提案されると期待していただけに残念ですね…。
高山:こればかりは、どうしようもありません。 まあ、過去の東京モーターショーに出品された「電動モノ」をふり返りながら、その時代で何を提案しようとしていたのかを探ってみますか!
スパ:はい。そこに、未来につながる発想があるかもしれませんね。では、東京モーターショーで華々しくデビューした ”電動二輪車” たちを見ていきましょう。
高山:私は、ホンダの事しか紹介できませんので了解ください。 ホンダが東京モーターショーに初めて ”電動二輪車”を出品したのは、1991年の「CUV ES」だと思います。 過去の資料が全て揃っていないので確証は得ていませんけど。
そして、大きな動きがあったのは1997年 第32回の東京モーターショーでした。
スパ:’97年ですか。 意外に遅いという印象ですが「CUV ES」に続くものが無かったんでしょうかね。 それとも、時代がまだ「電動バイク」を、そこまで求めていなかったんでしょうか…。
高山:1997年というと、日本では ”二輪車の排出ガス規制が強化” されることになり、翌年の「1998年に発売される新型車、原付1種と軽二輪 に適用」されることから、各社はその規制に適合する技術の確立を急いでいました。
スパ:いわゆる日本の ”第一次排ガス規制” ってやつですね。この規制で「NSR250」などの2サイクル スポーツマシンは、消えてしまうんですよね。
高山:50ccの原付1種についても厳しい規制でした。排気量を上げないで規制を達成することは、至難の業です。排ガス規制に対応すると出力が低下してしまうため、軽自動車は排気量を上げて対応してきた歴史がありますが、二輪はそのままでやれと。50ccで走行性能を維持しながら対応するには、大変な技術と費用がかかります。
スパ:1997年は、排ガス規制をどうクリアさせるのか…が一番の課題だったから、”電動” はもっと先の取り組みだった…。 でも、そんな中でもホンダは ”電動モノ” を提案してきたってコトですね!
高山:一方で、大型二輪免許が指定教習所で取得できるようになりましたから、この年は1300ccの「X4」が、リッターバイクのナンバーワンになっています。そしてこのショーには「CB1300」を参考出品しました。
スパ:排ガス対策と大型バイクの攻勢。守りと攻めが入り組んだ時代背景だったんですね!
それでは、SPANGSS による「1997年東京モーターショーWeb版」を始めましょう~!!
高山:この車両は、「ハイブリッド二輪車」の提案モデルです。50ccのエンジンと定格出力0.6Kwのモーターを切り替えることで、環境性能を高めた原付1種モデルです。
スパ:原付バイクで「ハイブリッド」とは斬新ですね! それに骨組みにも上質感と高級感が漂っていますね! 青いBOX部分がモーターを動かすためのバッテリーですね。
高山:モーターショーですから、見栄えも大事です。ホンダ得意のハイブリッド技術もありますよ。という世の中への発信が目的ですね。
スパ:これ、実際に走れる車両でしたか?
高山:後の東京モーターショーでは、実用に耐えるモデルが出品されています。(この話は後で紹介します) そして、このような技術の提案もありました。
スパ:あぁ、バッテリーの自動販売機ですね? …って、ボケてるバアイじゃんなくて、 えっ? コレ今で言う ”バッテリーの充電ステーション” ですか?
高山:はい。「パワーステーション」と名付けられた、電動アシスト自転車用のバッテリー交換システムなんです。「パワーステーション」が街中にあれば自宅で充電しなくても済む。素早く満充電のバッテリーをゲットできるというアイデアものです。
面白いエピソードがありますので開発の背景についてはこの後に紹介したいと思います。
スパ:電動アシスト自転車が世の中に初登場したのは、1993年11月の ヤマハ「パス」ですよね。 その3か月後の1994年2月には、ホンダから「ラクーン」が発売されて、その後各社も追従した…。
1997年というと、電動アシスト自転車が世の中にようやく認知されてきたころですね?
高山:私は当時、ラクーンのPRも担当していましたので、各社各様のバッテリーや充電器が、毎年のように開発されているのを見ると、先行きに不安を感じていました。
スパ:他社製品に乗り換えると、バッテリーや充電器一式も、新たに購入しなければならない…ってコトですね。
高山:それを解消できるのが、この「パワーステーション」の発想でした。
スパ:モーターショーで発表後に、何か動きがあったのですか?
高山:1年半経った1999年の春に、私は朝霞市の研究所に呼ばれて「パワーステーション」の開発状況についてレクチャーを受けました。開発のリーダーは、エンジン設計の大御所という立場の方でした。
「高山さん、ラクーンで日本一周ができるんだよ。このシステムはそれを実現できるものなんだ。
簡単に説明すると、全国のコンビニにこのシステムを導入して、バッテリー残量が少なくなったバッテリーをこの装置に入れて満充電のバッテリーと交換するだけ。お客様にはこの会員になってもらい料金は口座から引き落とされる仕組み。簡単でしょ。
ホンダはこの装置を造ることができるけど、コンビニへの設置とか料金収受システムを整えるには、ホンダ以外の協力者を得なければならない。自分はこのシステムをホンダだけのものするのではなく、他社のアシスト自転車のバッテリーと規格統一出来たら、全ての人が利用できるようになる。スケールメリットが出るんだ。広報でも後押ししてよ!」
と、一気に畳みかけられました。
スパ:おおぉ~! 正しく今、国内のバイク4メーカーが進めている「バッテリー規格の統一とバッテリー交換システム 」(電動二輪車用交換式バッテリーコンソーシアム ※)と同構想を、既に20年以上前に提案していたとは驚きです。
※2021年03月26日発行の バッテリーコンソーシアム リリース
高山:開発リーダーから、「このシステムについて広報発表してもらい、マスコミの人たちにも理解していただける機会が欲しい」と強く依頼されました。
新分野とか新たな事業化についてリリースを発行するには、部長職の了解が必要になります。開発リーダーは、その数日後には試作機をホンダの青山本社に運んで、実演しながら広報部のメンバーに熱く語りかけたのです。そして部長職の協力も得て、私がPR担当としてリリース作成をすることになりました。
スパ:おぉ。なんとも熱い方ですね。
高山:そして、1999年5月にリリースを発行しました。この時は、「バッテリー交換スタンド」という名称で発表しました。そして、様々な自転車に後付けできる新開発ユニットも同時に発表しました。
■1999年05月26日発行 当時のリリース
「ホンダ、自転車用の新型電動アシストユニットとバッテリー交換の 新システムを開発」
高山:このリリースの発表直後に新聞記者の人たちに実演する機会を設けて「ホンダはこのようなシステムを考えているのです」と、理解促進に努めました。その一週間後には、代々木公園の低公害車フェアに出品して、私も説明員として現場対応しました。
初めて一般の人たちの前で実演するのはドキドキしますが、かけがえのない経験になりました。
スパ:リリースを見ると、バッテリーの外郭形状の統一や、パソコンなどの二次電源にも使える構想など、未来型の提案もありますね。
それで、このシステムはその後どうなったんですか?
高山:アイデアは誰にも理解できる単純明快なものでしたが、この数年後ホンダは電動アシスト自転車の事業から撤退してしまいましたので、このバッテリー交換スタンドなどは実現することはありませんでした。
スパ:えーーーっ! 撤退ですか! そんなコトがあるんですね。せっかくの良い構想なのにとても残念。でもこの構想が、今のバッテリーコンソーシアムにつながっていると思いますね。バッテリーの規格統一も、バッテリーの交換システムもこの構想そのものですから。
高山:そう言ってもらえると、開発に携わった人たちも報われると思います。
話を戻しますと、1997年の東京モーターショーは、「ハイブリッド二輪車」と「パワーステーション」、この二つが電動モノとして出品されました。 世間の評価はいまひとつと言ったところでしょうか。
ところが、その年の12月に「ホンダ 二輪車の4ストローク化宣言」が社長から発表されたのです。レーシングマシンなどの一部車種を除く、というものですが業界は大騒ぎとなりました。
スパ:当時は、原付も250クラスまでは2ストロークエンジンが中心でしたよね? 原付の「Dio」、ロードバイクの「NSR250R」、オフロードバイクの「CRM250R」など主力車種がありましたよね。
高山:この時点から「排ガス規制対応技術と4ストローク化」のPRが、我々広報マンの中心的な仕事になりました。
スパ:ラインナップ機種の4ストローク化が完了するまでは、電動モノの開発は水面下に入った…ってワケですね。
高山:次に電動モノで発信できたのは、1999年の東京モーターショーに出品したハイブリッド二輪の「フレックス」です。
スパ:おおっ。1997年の「ハイブリッド二輪車」は、水面下で開発が進められていたんですね!
スパ:近未来を予感させるようなスタイリングですね。その後はどうなったんですか?
高山:この試作車は、市販には至りませんでした。 1990年代は、環境保全に向けてメーカー各社が将来技術に力を入れ出しました。排ガス対応で二輪車の価格は高くなり、特に原付クラスの販売は苦戦しました。
スパ:環境保全にはお金がかかる…ってことですね。当時はボク自身も「バイクの価格が上がったな」という実感がありましたし、ましてやハイブリッドの原付バイクだと当時は市場ニーズ的にも、結構な販売価格になるでしょうしねぇ…。
でも、19年後の2018年に発売される、量産車として世界初のハイブリッドバイク、「PCX HYBRID」(現在の名称:「PCX e:HEV」原付二種)に繋がるんだ…と思うと、感慨深いですね!
高山:1997年の東京モーターショーには、ちょっと変わり種の車両や、後にフラッグシップモデルとなる車両も出品されていました。その中から「4台」を紹介したいと思います。
高山:組立も楽しめる ”31ccの汎用エンジン搭載” の子供向けモデルの提案でした。
スパ:デパートの玩具売り場に売っていそうなバイクですね。組み立てができるという ”乗れるおもちゃ”的な要素に、エンジンを搭載するコトに拘ったのもホンダっぽいですね!
スパ:えっ、これも組み立て式ですか? で、同じ ”31ccのエンジン” 搭載?
高山:はい。親子で一緒に組み立てながら、エンジンとかシャーシの構造も学べる設定です。31ccの汎用エンジンは共通です。
スパ:二輪は「ワクッチョ」、四輪は「ドキット」ってネーミングにも、遊び心と楽しさがありますね!
スパ:ユニークなデザインのバイクですね。エンジンがシート下に見えますけど、これも同じく ”31ccのエンジン” ですか?
高山:はい、同じ31ccの汎用エンジンを積んでいます。 これは折り畳み可能なバイクで、自家用車に積み込んでレジャーに使うとか、マンションのエレベータにも入りますから、玄関でも保管できる設定なのです。
スパ:なるほど。そういう用途でしたら、エンジンだとガソリンの取り扱い注意や臭いもありますから、電動化なら、もっと利用範囲や利便性がグン! と広がりますよね。「ワクッチョ」も「ドキット」も「ルーパー」も、今の技術だったらきっと面白いEV商品になると思います。
スパ:これはもう、電動モノとは全く関係ありませんけど、とっても興味あります。 だって今でも大人気のこのバイクが、まだ「参考出品」となっているのが、とても貴重な感じがします。
高山:そうですね。1300ccの「CB1300」ですが、翌年に「CB1300 スーパーフォア」として発売されました。もう20年以上も愛されているロングセラーモデルに成長しました。
スパ:今回は、1997年と1999年の東京モーターショーの一部を紹介しましたが、20数年前の技術や構想が、今の技術に繋がっていたコトが、なんだか嬉しい気がします!
高山さん、他の年でもまだまだネタは有りますよね?
高山:ありますよ。 次回は21世紀の東京モーターショーについて触れてみましょうか?
スパ:はい! どんなユニークなモデルが出てくるのか? 当時の技術や構想は、今の時代や未来にも繋がっているのか? とても楽しみです!
【つづく…】
※前回の記事
ホンダは 30年前の1991年6月に、ホンダ初の電動バイク「CUV-ES プロト」をお披露目した!
高山正之さんの記事
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