エンターテイメント、ファッションやカルチャー、バイク、スポットや旬な情報をSPANGSS目線でお届けします!

【旧車・絶版車】1970年初頭 ホンダは CB50からCB750FOUR まで「CBシリーズ」の充実化を図った!


Reporter:高山正之/1955年山形県生まれ 時々物書き。
2020年7月に46年務めた本田技研工業(二輪車広報マン)を65歳で退社。
Profile Page

『カタログは時代を映すバックミラー』(第5回)
中学2年生でオートバイのカタログに夢中になり、後に憧れのホンダに入社する。二輪車の広報マンを長年務めた高山正之さんが ”趣味” で集めた “オートバイ・カタログコレクション”!! その時代のバイクを取り巻く環境や当時の流行などをお届けします。 オートバイカタログは「ひとつのバイク文化」なのです…。

【ホンダ編】1970年初頭、国内4メーカー各社は ”ロードスポーツ”をシリーズ化した!

「国内4メーカー フラッグシップが揃う」編 でも紹介しましたが、1960年代後半から各社は、ユーザーの熱い要望に応える形で次々と新製品を投入しました。 その当時の日本経済のトピックを幾つか挙げてみたいと思います。

1964年に開催された東京オリンピックは、東海道新幹線の開通をはじめ、モータリゼーションの発展に大きく寄与しました。開催後も景気はおおむね順調で、1969年には、東名高速道路(東京IC~小牧IC,347km)の全線開通。そして1971年は首都高速と東名高速が接続され、利便性が大幅に向上しました。まだまだ大都市圏や大都市を結ぶ高速道路網でしたが、日本にもハイウエイ時代が到来したのです。

そして1972年には、時の総理大臣・田中角栄氏が提唱した日本列島改造論が吹き荒れ、各地で建設ラッシュとなりました。 私は、高校生の時に山形県酒田市で田中角栄氏の演説を遠くから聞く機会がありました。大きな公園でしたが、あふれんばかりの観衆が集まり熱気に包まれていたのを記憶しています。

1973年まで続いた好景気は、1974年の第一次オイルショックによって足踏み状態になります。

私が本田技研工業に入社したのは、オイルショックの1974年です。しかしながら、四輪車シビックのアメリカ向け輸出が好調で、狭山工場の生産ラインにいた私は、増産、増産の毎日でした。二輪車、四輪車の海外輸出は伸長しており、日本経済を支えていました。私を含めたオートバイライダーの購買意欲は衰えることはありませんでした。

50ccから750ccまでの「CBシリーズ」完成と、4気筒へのチャレンジ!

では、「ナナハン」という言葉生み出した、ホンダ ”CB750FOUR” の誕生から始まるホンダのロードスポーツのフルラインアップ完成について、私なりの見解を述べたいと思います。

ホンダは、1960年代に世界ロードレース選手権(通称:ワールドグランプリ=WGP)に出場し、高回転・高出力型の多気筒エンジンの開発などで、選手権を制覇してきました。

WGPで培った技術を基に、4ストローク4気筒750ccエンジンを搭載した「ドリームCB750FOUR」を1969年に発売しました。

1969年発売の ドリームCB750FOUR。当時のカタログの中面。


”CB750FOUR” が誕生する前は、ホンダのフラッグシップは「4ストローク2気筒の”CB450”」でした。”CB450”で大市場のアメリカを舞台に、英国のトライアンフなどの650ccクラスに挑んでいましたが、販売は苦戦していました。

アメリカホンダの要請によって、新たに開発するモデルは排気量にも余裕のある”750cc”が決定されました。そして、ホンダならではの技術を具現化した4ストローク4気筒というハイメカニズムを採用したのです。

”CB750FOUR”は、ハイウエイ時代を先取りしたかのような高性能を売りに、バイクファンをすっかり虜にしてしまいました。

ホンダのロードスポーツの代名詞でもある「CBブランド」のラインアップは、”CB750FOUR”をトップに、CB450、CB350、CB250、CB125となっていました。

90ccは”CS90”、50ccは”SS50”で、ともにスーパーカブ系のエンジンを搭載しており、ライバルメーカーと比較しますとスポーティーさに欠けた印象です。当時は、まず原付でバイクに親しんだ後に、125、250、それ以上と段階を踏んで大型バイクに移行する傾向がありました。メーカーとしても、入門クラスから着実に自社のバイクでステップアップしてほしいという背景がありました。

1970年ー1971年、ホンダは怒涛のNew CBを投入!

このような背景とニーズのもと、翌年の1970年には「CBシリーズの充実化」が図られました。高速道路を走行できる、CB175、CB135を新発売。

CB250、350、450それぞれにディスクブレーキを装着した”セニアタイプ”を追加。 原付2種は、新開発の単気筒エンジンを搭載した”CB90”(※) と”CB125S”を新たに加えるなど、怒涛のニューモデルラッシュです。
(※)CB90 が登場した詳しい背景は、「1970年90ccロードスポーツ。バイク4メーカーが10.5馬力でガチンコ勝負!」でも紹介しています。

そして1971には、”CB50”を新発売するとともに、4ストロークOHC・4気筒エンジンの”CB500FOUR”を加え、鉄壁ともいえるCBシリーズとなりました。


それでは当時のカタログを見て行きましょう!


【1971年 ホンダ総合カタログ】

1971年の総合カタログは、新登場の”CB50”をメインとした表紙です。余白がもったいないですね……。

1971年総合カタログ中面。

”CB50”から ”CB750FOUR” まで豊富なラインアップです。オフロード系にも力を入れています。



【1971年 CB500FOUR カタログ】

1971年 ”CB500FOUR”の表紙。


”CB500FOUR”のエンジンは、”CB750FOUR”に対して穏やかな性格の4気筒エンジンでした。キャッチコピーからもマシンの特徴が分かります。複葉機(揚力を得るための主翼が2枚以上ある飛行機)とモーターサイクルが趣味という設定です。

”CB500FOUR”カタログ中面。ジェントルな雰囲気が伝わってきます。

諸元表のページはサイドカバーをあしらっています。サイドカバーには複葉機の姿が映りこんでいます。

裏面では各部の特徴を紹介しています。



【1971年 CB250セニア、CB350セニア】

1971年 CB250セニア、CB350セニア表紙。この頃は、まだディスクブレーキが新鮮に見えました。 

カタログ裏面の諸元表。ジェットヘルメットにゴーグルが一般的だった時代です。

カタログ中面は各部の特徴を紹介。
“セニア”には「上級の」という意味合いがあります。余談ですが当時、MFJが主催するモトクロス選手権で、最高峰クラスの名称は「セニア」でした。栄光の赤ゼッケン=セニア として、ライダーが憧れる花形でした。現在は「国際A級」の名称になっています。



【1971年 CB175】

1971年 CB175 カタログ表紙。1970年に発売されたモデルチェンジ版で、タンク形状などが変更されています。

1971年 CB175 カタログ裏面。
125ccの手軽さと250ccの力強さの中間を狙い、高速道路が走行できる中間排気量モデルです。現在も、ホンダの”PCX160”や”ADV150”などが好評を博しています。



【1971年 CB125】

1971年 CB125 カタログ表紙。


1971年のCB125。
この当時は、トランペットに憧れる若者が多かったのです。トランペット奏者の日野皓正氏の影響によるものでしょう。カタログにも世相が反映されています。音楽に興味を持たない私でさえ、トランぺッターはカッコいいと思ったものです



【1972年 ホンダ スーパースポーツ総合カタログ】
1972年6月には、CBシリーズに4気筒の ”CB350FOUR”が新たに加わります。ホンダにとってこの年がCBシリーズの完了形だと私は思っています。50ccから750ccまで、隙間の無いピラミッドを完成させたのです。
※有名な ”CB400FOUR” は、2年後の1974年に登場しますが、この話は別の機会に紹介したいと思います。

1972年 ホンダ スーパースポーツ総合カタログ表紙。


1972年 ホンダ スーパースポーツ総合カタログ中面。

50ccは ”SS50”も併売。”CB90”にディスクブレーキ仕様のJXをタイプ追加しています。125ccは、2気筒と単気筒の2機種を用意する充実ぶり。”CB350FOUR”の追加で盤石なラインアップが完成しました。

1972年 ホンダ スーパースポーツ総合カタログ 裏面の諸元表。全車4ストロークエンジンです。



【1972年 CB750FOUR(K2)】

1972年 CB750FOUR カタログ表紙。


1972年のフラッグシップモデル”CB750FOUR”は、各部が熟成され ”K2”型になりました。モデルのライダーは、正統派を感じさせる上下ライン入りウエアにロングタイプのブーツ姿です。

1972年 CB750FOUR カタログ中面。

1972年 CB750FOUR カタログ中面。


中面はポスターのようになっています。大人が楽しむ姿を前面に押し出し、過激な走りに向かわないようにけん制しているかのようです。

1972年 CB750FOUR カタログ裏面。

裏面は、ヘルメットホルダーの新設や大型化されたテールランプなどの説明があります。高性能よりも、より扱いやすく進化していることを紹介した内容です。



1972年に発売された ”CB350FOUR”は、4気筒エンジンの滑らかなフィーリングは支持されましたが、重い4気筒エンジンに対して排気量が足りないこともあり、力強さや加速力などではライバルメーカーの”2ストロークモデル”に一歩及ばない点などで、販売は成功に至りませんでした。

ですが、この ”CB350FOUR”で経験したことが、マニアから絶大な支持を得た、1974年発売の”CB400FOUR”に生かされることになります。

そして ”CB750FOUR”は熟成を図っていきますが、ライバルメーカーの攻勢によって、存在感が低下していきます。

鉄壁と思われた ”CBシリーズ” ですが、”より高性能で魅力あるスポーツバイク” を求めるユーザーの期待に応えられる新たな取り組みが、早くも必要になってくるのです…。


【了】


=関連記事=
【旧車・絶版車】1969年から1973年の二輪車総合カタログ! 国内4メーカー、フラッグシップモデルが揃う!

【旧車・絶版車】60年代のオートバイカタログ、国内4メーカーを比較! 最高速やゼロヨン加速も記載!

【旧車・絶版車】1970年90ccロードスポーツ。バイク4メーカーが10.5馬力でガチンコ勝負!|カワサキ90SS、ヤマハHS1、スズキウルフ90、ホンダベンリイCB90

【旧車・絶版車】「メグロK3」でメグロが復活!メグロからカワサキW800までの系譜と、レトロモダンの幕開け!

その他の関連記事
#オートバイカタログ

この記事を書いた人
◇高山農園主・時々物書き ◇ 山形県 現庄内町生まれ ◇ 1994年 埼玉県で高山農園をスタート ◇ 2020年 65歳で本田技研工業(二輪車広報マン)を退社
SNSでフォローする