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【旧車・絶版車】1969年から1973年の二輪車総合カタログ! 国内4メーカー、フラッグシップモデルが揃う!


Reporter:高山正之/1955年山形県生まれ 時々物書き。
2020年7月に46年務めた本田技研工業(二輪車広報マン)を65歳で退社。
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『カタログは時代を映すバックミラー』(第3回)
中学2年生でオートバイのカタログに夢中になり、後に憧れのホンダに入社する。二輪車の広報マンを長年務めた高山正之さんが ”趣味” で集めた “オートバイ・カタログコレクション”!! その時代のバイクを取り巻く環境や当時の流行などをお届けします。 オートバイカタログは「ひとつのバイク文化」なのです…。

中2の秋、隣町のバイク屋に「ドリームCB750F0UR」を見に行った!

ホンダ 「ドリームCB750F0UR」


1969年8月、ホンダは超高性能な “4ストローク4気筒750ccエンジン” を搭載した「ドリームCB750FOUR」を発売しました。それまでホンダは、4ストローク2気筒の「ドリームCB450」が最大排気量でした。

「CB450」が持つ高性能なエンジンは、英国車の650ccに匹敵する高出力と最高速度を誇っていましたが、アメリカにおいては思ったような販売につながらず、もっと排気量が大きいモデルが求められました。

アメリカ市場をターゲットに開発されたのが「ドリームCB750F0UR」でした。 堂々とした車格で、”最高速度200km/h” を誇る夢のようなオートバイです。


私が中学2年の秋に、隣町のオートバイ屋さんにこの「CB750F0UR」があるとの噂を聞き、駆けつけました。お店の中に鎮座している「CB750F0UR」は、とてつもない大きさに感じられました。”触れることさえ許さない” といったオーラのようなものが出ていました。

「カタログをください」とはとても言えない雰囲気で、高まった興奮を押さえながら自転車で家路についた記憶があります。

1969年発行 ホンダ「ドリームCB750F0UR」を掲載した B3サイズの総合カタログ!

このカタログは、オールホンダ展示会のようなイベントでもらったものです。

1969年発行で、四輪カタログと一緒になった珍しいもので、5年ほど勉強部屋に貼ってポスターとして眺めていました。B3の大判サイズです。

カタログ表紙 「ドリームCB750F0UR」堂々した風格が感じられる表紙です


カタログ裏面 HONDA 1300が新登場! 


カタログ中面


カタログ中面左には四輪車が勢ぞろい。 新登場「HONDA 1300」は空冷エンジンの意欲作。ベストセラーの「N360」シリーズは タイプ設定が充実しています。

カタログ中面右の二輪車ラインアップ。

「ダックスホンダ」が新発売。「スクランブラーSL90」も新たに加わりました。

1971年発行 ホンダ「ドリームCB500FOUR」が加わった総合カタログ!

このカタログは、1971年3月ころの発行と思われます。同年4月発売の「ドリームCB500FOUR」が新たに加わっています。「ドリームCB750FOUR」は、サイドカバーを小型化して足着き性を高めた ”K1タイプ” となっています。

「CB」と「CL」シリーズには、高速道路の走行が可能な「135cc」と「175cc」モデルを投入して、さらに強力なラインアップを実現しています。

1971年ホンダ総合カタログ表紙。「ドリームCB750FOUR」が疾走しているイメージです。


カタログ中面

タイトルコピーの「5グループ64車種の個性」に 他社を寄せ付けないという自信が感じられます。

中面諸元表

諸元表から最高速度の記載がなくなりました。安全運転の啓蒙と普及が重要視されていく時代へと移行していきます。

カタログ裏面

ホンダは前年の1970年に「ホンダ安全運転普及本部」を設立し、安全運転活動を全国的に推進していきます。カタログでも「大切な”心とモラル”の問題。次のような悪い習慣に、心あたりはありませんか。」と呼び掛けています。

カタログは性能や魅力をアピールすることに加え、ライダーに自覚を促す役割も果たしていきます。

1969年発行 ヤマハ総合カタログ  バーチカルツイン・650ccの「XS1」を投入!

”2ストロークエンジンのヤマハ” として、創業期から信頼性を高めてきたヤマハですが、大排気量の大型スポーツモデルの開発にあたっては、”4ストロークエンジン” を採用しました。

ホンダのナナハンとは一線を画す ”2気筒650ccエンジン” を新たに開発し「650 XS1」を 1969年の東京モーターショー※1 で初公開しました。

※1 第16回 東京モーターショー:1969年 (昭和44年) 10月24日〜11月6日 晴海で開催


このカタログは、同年の東京モーターショーで配布されたものと思われます。

1969年ヤマハ総合カタログ表紙。「650 XS1」のメーターや走りをあしらっています。


カタログ中面。

このカタログでは、車名が「650 XS1」ではなく、「XS1-650」45年1月発売 と紹介されています。まだ正式発表前の段階です。

カタログ裏面

「50cc~650ccまで用途に応じてお選びください」のキャッチコピーに自信が感じられます。「XS1-650」の主要諸元も記載されています。


1969年12月発行  ヤマハスポーツシリーズ総合カタログ!

1969年 ヤマハスポーツシリーズの総合カタログ 表紙

「XS1-650」発表後の総合カタログで、1969年12月発行と見られます。リーンウイズのコーナリングが決まってます。


カタログ中面

車名が「XS1-650」から「650XS1」になりました。

加速力やスピードを求めるライダー向けのモデルではありませんが、ライバル他社のことも考えて「圧倒的な加速性」や「最高速度185km/h以上」と記載しているなど、コピーにも苦労がうかがわれます。


左の「350R3」は、4ストロークの「650XS1」が登場するまで、ヤマハの最大排気量モデルでした。 「350R3」の2ストローク2気筒 350ccエンジンは、優れた加速力を誇っていましたが、フラッグシップとしては、ホンダのCB450、CB750、スズキのT500、カワサキの500SSマッハⅢと比べて、排気量で負けている印象でした。

カタログ裏面

裏面は「世界GP制覇のひみつ」と題して、2ストロークエンジンの優位性をアピール。1964年に、250ccクラスで2ストロークマシンによる世界チャンピオンを獲得し、世界で高い技術が認められました。

「XS1」以外は2ストロークのため、さらなる浸透が必要とされていたのでしょう。

1970年発行 スズキ総合カタログ 2ストローク3気筒の「GT750」を投入!

このカタログは、1970年の東京モーターショーで配布されたものと思われます。

スズキは、2ストローク技術の粋を集めて開発した「GT750」を 1970年の東京モーターショーで初公開します。2ストロークエンジンのナナハンとして大きな期待を集め、翌年1971年に発売しました。

スズキはあくまでも ”2ストロークエンジン” にこだわり、当時としては画期的な ”水冷方式” を採用しました。

1970年 スズキ総合カタログ 表紙

女性モデルで登場感を演出しています。このカタログも勉強部屋に飾っていました。

カタログ中面

「GT750」は参考出品車として紹介されています。 個性的なスタイリングの「ウルフ90・125」がラインアップされています。

スズキで一番の大排気量モデルは、2ストローク2気筒の「T500」でした。

カタログ中面

中面では、オフロードに熱心なスズキをアピールしています。 ハスラーシリーズとともに、モトクロス場「スズキオートランド」を全国展開。

1970年は、ワークスマシン「RH70」をモトクロス世界選手権に投入して、世界チャンピオンを獲得するなど、モトクロスでは他社に比べいち早く世界のトップに立ちました。

カタログ裏面

裏面は、ビジネスモデルとスノーモビルを紹介。スズキもすべて ”2ストロークエンジン” でしたので、2ストロークの直接給油方式であるスズキCC1の技術を紹介しています。

1973年発行  カワサキ総合カタログ  マッハとRSシリーズ!

カワサキは、1969年に衝撃的な2ストロークマシン「500SS マッハⅢ」を発売しました。

その後、ナナハンブームの影響もあり、2ストローク3気筒の「750-SSマッハ750」を発売。

そして1973年に、真打とも呼ばれた ”4ストロークDOHC4気筒” の「750-RS」(型式Z2)を発売しました。ホンダの「CB750FOUR」をしのぐ高性能と、輸出向けの900cc「Z1」と同じスタイリングで一躍人気モデルとなりました。


このカタログは、1973年発行のものです。

1973年 カワサキ総合カタログ

表紙は、新登場の「750-RS」と、Wシリーズから車名を変更した「650-RS」の2台で構成。どちらも男女ペアの設定です。

中面は、2ストロークスポーツのSSシリーズ。

伝統のW1の最終モデルとなった 4ストロークOHV 2気筒の「650-RS」に加え、新登場の「750-RS」で充実のラインアップが完成。

この当時は、ビジネスモデルを販売していたのが新鮮に映ります。

スピードを誇るカワサキでしたが、カワサキも主要諸元から最高速度の記載を無くしています。最高速度を謳う時代は終わっていました。

免許試験車両は125cc。合格すれば大型バイクにも乗れた時代…。


1969年のホンダ「ドリームCB750FOUR」の登場と大ヒットによって、日本の二輪市場は大きな変革期に入りました。各社ともに、海外市場で戦うには大型モデルの開発が欠かせなくなります。

ヤマハは、初めての ”4ストローク2気筒650cc” を。スズキは ”水冷2ストローク3気筒の750cc” を。カワサキは ”4ストローク4気筒900ccのZ1(日本では750-RS)” をラインアップさせました。

当時の日本ではメーカーの自主規制として、”750ccを超える排気量の国産車は販売しない” ということになっていました。 二輪車による事故増加への対応でした。


私は1971年に16歳で二輪免許証(自動二輪免許)を取得しました。運転できる排気量は無制限ですから、今の ”大型二輪免許” に該当します。 確か、試験料は1500円だったと思います。

試験場で実技と学科試験を受けるいわゆる一発試験で、スズキの「K125」※2 という、125ccのバイクで実技試験を受けました。ウインカーを使わず手による合図でした。

※2 「K125」=今回紹介している [1970年発行 スズキ総合カタログ・裏面]に K125が掲載されています

学科試験も合格するとすべての排気量に乗れます。 高性能な大型バイクに16歳の高校生でも乗ることができた時代でした。

そしてヘルメットの着用義務が無かったので、ナナハンでもノーヘルでOKでした。メーカーのカタログには、ヘルメット姿で颯爽と乗っている写真が多くありましたので、ヘルメットはかっこよく実用的だと思って兄貴のおさがりをかぶっていました。


私が通っていた高校はオートバイ通学が可能で、学校と地域の警察が協力して、オートバイ通学者に交通安全スクールを実施するなど、恵まれた環境でした。

しながら、四輪車も二輪車も急速な需要拡大の影響もあり、交通事故件数が増加していくなど、社会的な問題に発展していきます。二輪車の利用環境でも免許制度の変更や各種規制が強化されます。

そしてその後に日本特有の ”高校生の三ない運動”※3  へとつながっていき、日本全国で交通教育の放棄によって、日本は世界一の二輪製品を誇りながら「乗る環境では後進国」という不名誉なレッテルが今も貼られている…と感じています。


※3)三ない運動:1982年の全国高等学校PTA連合会で決議された、高校生に対して「オートバイの免許を取らせない」「オートバイに乗せない」「オートバイを買わせない」を推進する運動で、2012年まで全国的に続けられていた。

【了】


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#オートバイカタログ

この記事を書いた人
◇高山農園主・時々物書き ◇ 山形県 現庄内町生まれ ◇ 1994年 埼玉県で高山農園をスタート ◇ 2020年 65歳で本田技研工業(二輪車広報マン)を退社
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