Reporter:高山正之/1955年山形県生まれ 時々物書き。
2020年7月に46年務めた本田技研工業(二輪車広報マン)を65歳で退社。
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山形県庄内地方の片田舎で育った私は、中学2年生の時に同級生が持っていた二輪専門誌を見せてもらった瞬間に、とりこになってしまいました。バイクで走りたいという思いではなく、なぜか「オートバイのカタログを集めたい」という思いが湧いてきました。
学校の帰り道は、天気の良い日は自転車で隣町の販売店まで足を伸ばして「ごめんくださーい。バイクのカタログが欲しいんですが… なんでもいいんですけど…」と、同じ販売店に1週間に1回くらいは通っていました。
田舎のため、販売店を数軒回りますと、15キロくらいは走ります。家に帰ってから、カタログをしげしげと眺めるのがとても楽しみな時間でした。
国内4メーカーはもちろん、外国車の輸入代理店にも「カタログ請求」のはがきを出しまくりました。中でもホンダが一番対応が早く、確実に郵送してくれました。
家にいるときには、郵便配達のカブのエンジン音を心待ちにしていました。
カタログ請求先の国内4メーカーの住所は、当然暗記できるほど頻繁に請求していたのです。たぶんメーカーの担当者は、「また山形県のこの子から来ているよ」と言いながら、対応してくれたのだと思います。
中学3年のある日、中間試験の最中に覚悟を決めて、30キロ先の販売店を目指しました。 新たな開拓です。
翌日に先生から呼び出しがあり駆けつけると「お前、昨日とんでもなく遠いところに遊びに行ったと聞いたぞ。下校時間が早いのは、試験勉強をするためだ。」と、叱られました。田舎の事ですから、自転車で家とは反対方向に行ったのを目撃されたのだと思います。
そんなことは全く気にもせず、二輪専門誌を買ってからが大変です。広告や読者レポートまで隅々まで読みますが、8割は理解できません。専門用語が多いのです。さすが二輪専門誌です。
高校生になりますと、もっと行動範囲が広がりますから、カタログ収集にも熱が入ります。
ついには、バイクのカタログをつくるような仕事をしたい。メーカーに入ればできるかもしれない、という漠然とした考えを持ちました。
縁あって本田技研工業に拾ってもらいました。
入社4年後に、カタログマニアにとっては憧れの部門である「宣伝販促部門」の ”隣の部署” に配属されました。 宣伝販促部門に遊びに行きますと、当然のことながら新作カタログがそろっています。自由に持っていっても良いのです。(あくまで業務に使用する目的です)
このような環境ですと、いとも簡単に手に入りますので、この時点でカタログ収集の興味は無くなってしまいました。(贅沢な話です)
今 手元にあるカタログは、1960年代から1980年代までのものが大半です。 引っ越しでも難を逃れ、古いものでは60年の時を過ごしてくれました。
そんな愛おしいカタログを紹介しながら、その当時のバイクにまつわるお話を綴っていきたいと思います。
タイトルコピーにメーカーとしての自信があふれています。色使いも綺麗です。 タンデムは、中学生には憧れのまた先の憧れでした。
全て4サイクルエンジンです。最大排気量は「CB450」で、価格はホンダ車の中で最も高い26万8,000円でした。 翌年に「CB750FOUR」が登場する夜明け前です。
裏面は、主要諸元がびっしり掲載されています。最高速度やゼロヨン加速などもあります。「CB450」は最高速度180km/hと紹介されています。車体色もすべて記載されていて非の打ち所のない一覧表です。
ビジネスからスポーツまで多彩な品揃えが分かります。センスの良さが光ります。
全て2サイクルモデルです。最大排気量モデルは「350R3」で価格は22万8,000円。 オフロード界に衝撃を与えた「250DT1」はすでにラインアップされています。
裏面は、主要諸元表です。50ccの「50FS1」の最高速度は95km/hと紹介されています。当時は、原付の公道での最高速度は30km/h以下と法規で定められていましたが、速度リミッターはまだ無い時代でした。
表面はスポーツラインアップ。意欲作のウルフや、世界モトクロスで培った技術を反映した「ハスラー250」は人気の的。最大排気量モデルは「T500」でした。
1枚構成のカタログのため、他社に比べて見劣りしますがご勘弁を。
裏面はビジネスモデルのラインアップ。この当時は働くバイクは街中で多く見ることができました。兄貴はビジネスモデルの「K90」に乗っていました。本当はスポーツバイクが欲しかったのですが、親父からスピードが出るから危ないと反対され、泣く泣く「K90」に。
カワサキの60年代後半の総合カタログを所有していませんので、一番古い「250A1」のカタログになります。
「世界の名車」と謳っていますが、すでにアメリカに輸出していました。表紙もアメリカの星条旗を意識したようなデザインとなっています。
セロファンテープで補修した跡はご勘弁を。
早くもスーパースポーツのコピーで高性能をアピールしています。アップマフラーのスクランブラータイプが早くも登場。
当時のスクランブラーモデルは、オンロードモデルをベースに、アップマフラーと広めのアップハンドル。そしてタイヤパターンがややオフロードよりに設定されていました。とてもジャンプなどをする気にさせない仕様でした。
裏面には、”川崎航空機工業株式会社” と ”カワサキオートバイ販売株式会社” の社名が記載されています。1967年当時は、カワサキオートバイは ”川崎航空機工業製” でした。ルーツは、ホームページを検索しても詳細までは記載されていません。
八重洲出版の「日本モーターサイクル史」では、[カワサキマークが付けられた完成車 ”カワサキバイクスクーター”は、1954年に川崎岐阜製作所株式会社で生産された。] とあります。
一方、川崎重工業のホームページには、”1953年に二輪車エンジンを生産したのがルーツ” と記載されています。これは、川崎機械工業によるエンジン生産のようです。
ある書籍では、”1955年に川崎明発工業(メイハツ)が生産したのがルーツ” とも紹介されています。 その後1961年に ”川崎明発工業” から製造権を譲り受けたのが ”川崎航空機工業” となります。
そして、1969年に川崎重工業が、川崎航空機工業と川崎車輛を吸収合併。ここから ”川崎重工業製のカワサキブランド” が始まるようです。
裏面の右上に記載されているこのキャッチフレーズは、川崎航空機工業がカワサキのオートバイ生産をスタートしたのが1961年ということから、ホンダ、ヤマハ、スズキに比べると「若々しい」と表現したものと思われます。
日本最大の車種揃えとして650ccまで記載しています。「650W1」は、この当時は川崎航空機工業で生産されていたわけです。
実に難解なカワサキオートバイの歴史です。
【了】
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