Reporter:高山正之/1955年山形県生まれ 時々物書き。
2020年7月に46年務めた本田技研工業(二輪車広報マン)を65歳で退社。
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ヤマハは1969年の東京モーターショー(昭和44年10月24日〜11月6日 晴海で開催)に、ヤマハ初の ”4ストロークエンジン” を搭載したフラッグシップマシン「XS1 650」を出品しました。
この年は、8月にホンダから 高性能な ”4ストローク4気筒750ccエンジン” を搭載した「ドリームCB750FOUR」が発売。 9月にはカワサキから ”2ストローク並列3気筒エンジン” を搭載した「カワサキ500-SS マッハⅢ」が発売されました。
ヤマハにとっては、大型バイク市場で後塵を拝する形になりましたが、「XS1 650」は、ホンダやカワサキとはコンセプトが異なっていました。
数値上の性能を誇るものではなく、”バーチカルツイン(直立型の2気筒)” という、英国のトライアンフなどに見られる伝統的なエンジン形式と、スリムな車体が生み出す軽快な走り味をアピールしていました。
■1969年10月発行 ヤマハ総合カタログより
「XS1 650」の「昭和45年1月発売」の予告が確認できます。 発行月(10月)から推測すると、東京モーターショーで配布されたものと思います。
2ストロークメーカーのヤマハにふさわしく、ロードスポーツは50ccから350ccまでラインアップされています。しかしスタイリングや車名に統一感までは出し切れていません。
翌年の1970年1月の発売時には、車名を「XS1 650」から「650 XS1」に変更しています。 650ccで、伝統的ともいえる4ストローク バーチカルツインエンジンは、カワサキ「650W1S」と、ヤマハ「650 XS1」の2車種となりました。
では、1969年12月に発行された「650 XS1」登場時のカタログを紹介いたします。
■1969年12月発行 ヤマハ「650 XS1」のカタログ
遂に出た! というコピーは、ヤマハにとって待望の大型モデルであったことがうかがえます。
ヤマハが、トヨタの四輪レーシングカー「トヨタ7」や、スポーツカー「2000GT」の4ストロークエンジンをつくった、という事実を堂々と紹介しています。
ヤマハ初の4ストローク・ビッグマシンを誇り高く紹介しています。
サイドカバーのエンブレムが「XS-650」となっています。車名の「650 XS1」とエンブレムが共通ではありません。何かの事情があったのかもしれません。
諸元表は、灯火器のワット数も記載するなど、詳細にわたり紹介しています。フラッグシップとしてのこだわりなのかもしれません。ここまで詳しい諸元は珍しいです。
※ヤマハ「650 XS1」「XS1-650」は、【旧車・絶版車】1969年から1973年の二輪車総合カタログ! 国内4メーカー、フラッグシップモデルが揃う!】でも紹介していますので、参考下さい。
発売時に、車名が変更されたヤマハのフラッグシップマシン「650 XS1」ですが、車名に ”X” が採用されています。
一方、”2ストロークスポーツモデル” も、よりスタイリッシュにモデルチェンジして、車名も ”X”シリーズ化に向けて一新しました。
私は、勝手に ”X”シリーズと呼んでいますが、ヤマハの公式な呼び名ではないことをお断りしておきます。
”2ストロークスポーツモデル” で初陣を切ったのは「350RX」※ です。 エンジンを刷新し、GPレーサーを思わせるスピード感あふれるスタイリングで登場しました。またメッキ部品を随所にあしらい高級感にもあふれていましたので、たちまち人気モデルとなりました。
エンジンは、ロードレース世界GPで鍛えられた2ストローク2気筒を採用。優れた加速力も人気の要因でした。
※「350RX」の登場直後に「RX350」が発売されました
■1970年3月発行 「350RX」のカタログ
流麗なタンク形状や斬新なエンジン外観など、ほれぼれするスタイリングです。
中面の見開きでは、ヨーロッパ風のデザインと紹介しています。
発売当時、車体色は ”メタリックパープル(紫)” 1色のみの設定でした。
そして「350RX」発売直後の同年10月には、車名を「RX350」に変更して登場します。
カタログを見る限りでは、「RX350」では車体色が ”マンダリンオレンジ” に変わり、現金正価は7,000円高くなっています。外観では分からない変更があったものと思います。
どうして車名まで変えたのかは知る由もありませんが、これから続々と登場する ”2ストロークモデル” の車名に、統一感を持たせる必要があったと推測できます。
■1970年10月発行 「RX350」のカタログ
車体色は、マンダリンオレンジになりました。主要諸元に変更はありません。外観上の違いは無いように思えます。
350ccに続いて 250ccもモデルチェンジし、2ストローク2気筒エンジンの「DX250」が誕生しました。スタイリングは、「RX350」を踏襲したもので、2スト ”X”シリーズ第2弾です。
■1970年10月発行 「DX250」のカタログ
タンデムツーリングに適したダブルシート形状です。
車体色は、カラフルなキャンディーイエロー1色の設定です。
表紙のモデルさんとはウエアやヘルメットが違います。余白が多く、少し寂しい感じがします。
そして、1970年1月の発売時に、車名を変更して登場した「650 XS1」でしたが、発売から1年を待たず、同じ年の1970年の10月に「650 XS1」はマイナーモデルチェンジをし、車名を「XS650」に変更します。車体色は、カラフルなキャンディーオレンジを設定しました。
■1970年10月発行 「XS650」のカタログ
サイドカバーのエンブレム「XS-650」は、「650 XS1」の時代から変わっていません。エンブレムだけを見ると、最初から「XS650」の車名で良かったと思ってしまいます。
主要諸元に変更は見られません。フロントフォークのブーツが廃止されました。
裏面は写真1点の構成。フラッグシップモデルとしては、少し寂しい感じがします。
そして、翌年の1971年には、”2ストローク2気筒” 125ccの 125AS2 をモデルチェンジし「AX125」を発売。 同じく”2ストローク2気筒” 90ccの HS90も、「HX90」へと進化を遂げました。
■1971年発行 「AX125」の簡易版カタログ
スタイリングは「RX350」「DX250」を踏襲した流麗でスポーツマインドにあふれています。
125ccクラスとしては豪華な装備を誇っていました。
そして同年の8月に、ヤマハスポーツ ”X”シリーズの総合カタログ が発行されました。
■1971年8月発行 ヤマハスポーツシリーズの総合カタログ
「XS650」に、フロントディスクブレーキやセルスターターを装備した「XS650-E」がフラッグシップモデルです。
「HX90」から「RX350」の ”2ストロークモデル”は、統一感のあるスタイリッシュなデザインとしています。
カタログには、「待望のスポーツシリーズ完成」と謳っています。
ですがこの時点では、50ccの「FS50」のみ、車名に ”X” が採用されていません。私の勝手な解釈では、兄貴分の ”X”シリーズと肩を並べられるスタイリングではなかったため。と思います。
マン島TTレースと世界GPで、ヤマハが3種目を制した好成績を紹介して、スポーツマインドを高めています。
そして翌年の1972年には、「FS50」をモデルチェンジし「FX50」を発売します。この時点で、すべての ロードスポーツモデルに ”X” の名称がつきました。
これも私の勝手な解釈ですが、2ストロークは「ローマ字 + X + 排気量」、4ストロークは「X + ローマ字 + 650」として、差別化をしていたように思えます。
これで、”X” のネーミングが付いた、ヤマハスポーツシリーズ完成の話は終わりますが、ヤマハ初の「ナナハン」の登場について少し紹介させていただきます。
1971年の時点で、国内メーカーで750ccの「ナナハン」を販売していないのは、ヤマハだけとなっていました。市場の声は、650ccの上級モデルを望む声が大きくなっていました。
1972年、満を持してヤマハが発売したのが、750ccの「TX750」です。他社とは一線を画し、最高出力や加速性能を追い求めるのではなく、「乗りやすさ」を重視したコンセプトでした。
「TX750」は、4ストローク2気筒エンジンによる ”軽量・コンパクト設計” で、ナナハンの敷居を低くしたモデルでもありました。そして、車名は他の2ストロークシリーズと同じような配列になりました。
一方、2ストロークのロードスポーツは、1973年以降 ”X” から順次 ”RD” の名称に改められました。「RD50」から「RD400」までのラインアップは覚えやすかった記憶があります。
「RD」の名称は、1960年代に世界グランプリレースに参戦したヤマハのレーシングマシンにつけられたものです。 1964年には、250ccクラスで「RD56(RD250)」がライダーとメーカーチャンピオンを獲得しました。まさに栄光のマシンです。
今年2021年は、ヤマハがロードレース世界GPに参戦してから60周年を迎えます。
現在「WGP参戦60周年記念サイト」が公開されています。「RD」の活躍なども紹介されていますので、ぜひご覧いただければと思います。
■WGP参戦60周年記念サイト | ヤマハ発動機
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-60th/
私にとっては、「RD」の一つ前の時代に思い入れがあるのですが、1970年代はオートバイの性能競争が一段と激しくなっていきますので、ネーミングもそれにつれて変化のサイクルが早くなった印象があります。
ヤマハ初のナナハン「TX750」と、「RDシリーズ」につきましては、またの機会に紹介させていただければと思います。
【了】
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